山口県阿武町4630万円誤送金事件の法的な考察

山口県阿武町の4630万円誤送金事件で町が4300万円あまりを回収したようです。

阿武町の会見

阿武町の花田憲彦町長と町の代理人を務める中山修身弁護士は24日午前、会見を開き、これまでに4299万3434円を法的に確保することができたことを明らかにしました。

中山弁護士は、田口容疑者が繰り返し出金していた3つの決済代行業者の口座の差し押さえを行ったと説明し「田口容疑者と決済代行業者は委任契約を結んでいて、公序良俗に反する取り引きをしていると判断した」と述べました。

山口 阿武町 4630万円誤給付「これまでに4299万円余を確保」 | NHK | 事件


阿武町「4299万円確保」 誤給付9割回収 決済代行3社から | 毎日新聞


どういう経緯で返還されたのかや法的根拠は記事からは詳しいことが不明、「法的に確保」という言い回しが微妙ですが、とにかく4630万円を誤送金された男(以下「誤送金男」)が利用していたオンラインカジノの決済代行会社3社から町の口座に4299万円の振り込みがあったことは事実のようです。


Yahoo!ニュースの専門家コメントに情報が。

前田恒彦

阿武町の代理人弁護士の会見で事情がだいたい分かりました。この弁護士や町役場職員が国税徴収法に基づく差押+取立+マネロン法の「疑わしい取引」にあたるぞというプレッシャーを決済代行業者に与えたところ、送金されてきた模様です。この弁護士も決済代行業者から先の金の流れについては不明とのことでした。

また、送金分全額が直ちに町のものになるわけでなく、男の滞納税に対する徴収権を超えた部分はいったん男に返し、その上で差し押さえる必要があるので、「法的に確保」という言い回しを使ったとのことです。

もし決済代行業者に資金がプールされていたとすると、本来だと返金の流れは決済代行業者→男の口座→町の口座になるはずであり、男やその代理人弁護士が承諾し、手数料節約のために決済代行業者→町の口座という「中間省略送金」が行われたのかとも思っていましたが、少なくとも男やその弁護士の関与はなかったということになります。

Yahoo!ニュース 個人オーサー前田恒彦さんのコメント - Yahoo!ニュース

阿武町は具体的な税目や金額については守秘義務の関係で明らかにしなかったもののの、男に滞納税があったので、これを徴収するということで国税徴収法に基づいて決済代行業者の口座を実質的に男の口座だとみて差し押さえ、取立を行なったとのこと。町の動きが遅すぎるという批判の声も上がっていましたが、実際には水面下であらゆる手を使って迅速に動いていたようですね。

ただ、町の徴収権が及ぶ金額は決済代行業者から送金された約4300万円のごく一部であり、それを超えた部分は法的には男の金ということになるので、いったん男に返し、その上で改めて町が差し押さえる必要があるし、町の代理人弁護士の調査では男はクレサラ業者に債務があり、もし町に送金された約4300万円が彼らによって差し押さえられると、町が被害分を全額回収できなくなる可能性もあることから、町は会見で「法的に確保」という慎重な言い回しを使っているとのことです。

Yahoo!ニュース 個人オーサー前田恒彦さんのコメント - Yahoo!ニュース


少し見えてきました。
国税徴収法に基づき差押を行なったところ決済代行会社3社がほぼ全額を「なぜか」町に振り込んできたとのこと。町の代理人弁護士もなぜかはよくわからないと会見で答えていたようです。

阿武町代理人「業者3社、なぜか満額払ってきた」 会見一問一答 | 毎日新聞



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国税徴収法に基づく差押について

誤送金男が決済代行会社にお金を預けただけであり、払い戻しを受ける権利を持っていたとすればその決済代行会社を第三債務者として誤送金男の債権の差押を行ったということになります。しかし、代行会社にしてみれば誤送金男がどのような手段で入手してきた金かは知る由もなく(善意の第三者であり)、カジノの賭け金として既に費消し切っていたとすれば既に債権自体が存在しないのでその差押は無効であり、決済代行会社が町に送金してきた理由も不明。


ネットの識者のコメントでも不明瞭なところが多いですが、ポイントは以下。
①町が差押したのは本件誤送金(4630万円)とは無関係のもともとあった誤送金男の滞納税金(追記:軽自動車税国保税あたりか)。
国税徴収法に基づく差押は裁判所の許可なく徴税官吏が自力執行できる強力な権利。
国税徴収法という名前だが地方税法48条他により地方自治体の税務職員も執行可能。
④滞納税額は誤送金額(4630万円)に比べわずかな金額と思われるので、超える部分(残余金)については改めて不当利得返還請求により確定した債権に基づく差押が必要。(追記:誤送金男の認諾により債務名義が確定しているため民事執行法に基づく差押済み→配当を受ける予定。)
⑤決済代行会社が差押税額を超えてほぼ全額を町に送金してきた理由は不明。
⑥そもそも差押えた債権自体が存在しなかった可能性があるが、決済代行会社3社はとにかく町に4300万円を送金した。
⑦その場合、今度は町が不当利得を得たことになる。
オンラインカジノ運営会社と決済代行会社が事実上一体であり、賭博罪や犯罪収益移転の罪に問われる可能性(弁護士が指摘する「公序良俗に反する取り引き」)があるため金を返して終わりにしたかった可能性。
⑨その場合も金を返したからといって罪がなくなるわけではない。


法律的に大変興味深い事件ですが、やっぱり今の段階ではよくわかりませんね。


なお、前述したように、国税徴収法民法の一般原則である自力救済禁止の例外として自力執行を認めたり、一般人が行えない財産調査を職権で行えたり等、大変強力な法律です。

(差押の要件)
第四十七条 次の各号の一に該当するときは、徴収職員は、滞納者の国税につきその財産を差し押えなければならない。
一 滞納者が督促を受け、その督促に係る国税をその督促状を発した日から起算して十日を経過した日までに完納しないとき。
二 納税者が国税通則法第三十七条第一項各号(督促)に掲げる国税をその納期限(繰上請求がされた国税については、当該請求に係る期限)までに完納しないとき。

国税徴収法 | e-Gov法令検索

(質問及び検査)
第百四十一条 徴収職員は、滞納処分のため滞納者の財産を調査する必要があるときは、その必要と認められる範囲内において、次に掲げる者に質問し、又はその者の財産に関する帳簿書類(その作成又は保存に代えて電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他の人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。)の作成又は保存がされている場合における当該電磁的記録を含む。第百四十六条の二及び第百八十八条第二号において同じ。)を検査することができる。
一 滞納者
二 滞納者の財産を占有する第三者及びこれを占有していると認めるに足りる相当の理由がある第三者
三 滞納者に対し債権若しくは債務があり、又は滞納者から財産を取得したと認めるに足りる相当の理由がある者
四 滞納者が株主又は出資者である法人

保全差押という手続きでは、脱税を行った者がまだ確定申告期限を迎える前の将来払うことになる税金を税務署長が見込みで決定して直ちに差し押さえすることまで認めています。ただし、本件の誤送金男については脱税ではなく、ただ滞納していただけなので適用できないと思われます。

保全差押え)
第百五十九条 納税義務があると認められる者が不正に国税を免れ、又は国税の還付を受けたことの嫌疑に基づき、国税通則法第十一章(犯則事件の調査及び処分)の規定による差押え、記録命令付差押え若しくは領置又は刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)の規定による押収、領置若しくは逮捕を受けた場合において、その処分に係る国税の納付すべき額の確定(申告、更正又は決定による確定をいい、国税通則法第二条第二号(定義)に規定する源泉徴収等による国税についての納税の告知を含む。以下この条において同じ。)後においては当該国税の徴収を確保することができないと認められるときは、税務署長は、当該国税の納付すべき額の確定前に、その確定をすると見込まれる国税の金額のうちその徴収を確保するためあらかじめ滞納処分を執行することを要すると認める金額(以下この条において「保全差押金額」という。)を決定することができる。この場合においては、徴収職員は、その金額を限度として、その者の財産を直ちに差し押さえることができる。

差押の実務

代行業者の口座を差し押さえて大丈夫なのか?というブコメがありました。

allezvous 決済代行業者の口座だと、対象者以外の資金も入ってると思うけど、口座そのものを差し押さえちゃってほんとに大丈夫なんか?あとからすごい額の賠償請求来ないか?2022/05/24

allezvousのブックマーク / 2022年5月24日 - はてなブックマーク


債権の差押というのは、実務的には債権差押通知書(「あなたがこの人に払う予定のお金はうちが差し押さえたのでこっちに払ってください」という内容が書いてある紙)を郵送するだけです。口座を凍結したりするわけではないです。もう少し正確に言うと、差押えられたのは誤送金男の債権(代行会社の債務)であって代行会社の財産が差押されたわけではありません。

国税庁の様式はこちらお知らせ


従業員が住民税を滞納したりすると給与債権の差押として会社にこういう紙が送られてきます。
銀行預金が差し押さえられるときも他の引き落とし等と同様に「国税差押」(だったと思う)と1行印字されて強制的に持っていかれるだけです。口座に残高があればその後も普通に使えます。

本件でも、こういう紙を代行会社に送ったらなぜか払う義務のない金額まで送金してきて町も困惑、ともかく大半「確保」できたから一安心、合法的に町が収受していいのかは検討中、という感じではないでしょうか。


国税徴収法では債権を差し押えるときはその全額をできることになっていて、この規定によって滞納税額を超える金額を差し押さえたのではないかと一部で言われているようですが、これは差押債権の額が変動したりして時価の算定が困難な債権のための規定だったと思います(自信なし)。預金の場合金額が明らかなので、例えば100万円の税金の滞納があったとして口座に1億円あったら全額押さえていいのかと言ったらそんなわけないので、やはり今回は差し押さえた金額以上を代行会社が勝手に払ってきた、ということだと思われます。

(差し押える債権の範囲)
第六十三条 徴収職員は、債権を差し押えるときは、その全額を差し押えなければならない。ただし、その全額を差し押える必要がないと認めるときは、その一部を差し押えることができる。

(超過差押及び無益な差押の禁止)
第四十八条 国税を徴収するために必要な財産以外の財産は、差し押えることができない。
2 差し押えることができる財産の価額がその差押に係る滞納処分費及び徴収すべき国税に先だつ他の国税地方税その他の債権の金額の合計額をこえる見込がないときは、その財産は、差し押えることができない。


(間違っている部分もあるかもしれませんので識者は補足お願いします。)